医療機器は人の命を救う大切な道具です。
その性能や機能がどれほど優れていても、使う人に正確に伝わらなければ、価値は半減してしまいます。
時に、伝え方の不備が命に関わる事故を引き起こすこともあるのです。
「テクノロジーは冷たくても、伝える言葉が温かければ、使う人の心は動く」
これは私、南佑介が医療機器専門のテクニカルライターとして10年以上活動してきた中で辿り着いた信念です。
法律とマーケティングの知識を持ちながら、私が医療現場の最前線に立つユーザーの声に耳を傾け続けてきた理由は、母の命に関わる出来事がきっかけでした。
本記事では、医療機器開発において「伝え方」がいかに重要か、そして私たちが目指すべき方向性について考えていきます。
なぜ”伝え方”が医療機器において特別に重要なのか?
命を預かる製品に求められる説明責任
医療機器は、他の製品と決定的に異なる特徴があります。
人の命を直接左右する可能性を持っているということです。
血糖値測定器の誤作動は糖尿病患者の命に関わります。
人工呼吸器の操作ミスは、患者の生死を分けるのです。
そのため、医療機器には厳格な法規制が設けられています。
2024年からは「医療機器規制と審査の最適化のための協働計画2024」が始まり、より安全で優れた医療機器をいち早く患者に届けるための取り組みが強化されています。
特に注目すべきは、2024年4月1日以降に製造販売される医療機器に対して、改正後のJIS T 62366-1:2022への適合確認が必要になった点です。
これはユーザビリティに関する基準が強化されたことを意味し、「伝え方」の重要性が法的にも高まっていることの表れと言えるでしょう。
使用者の多様性:患者から介護職まで
医療機器のユーザーは多岐にわたります。
医師や看護師といった医療のプロフェッショナル。
介護施設のスタッフ。
そして患者本人やその家族。
それぞれが異なる知識レベル、異なるバックグラウンドを持っています。
例えば、血糖値測定器は、専門家である医師や看護師だけでなく、患者自身が日常的に使用します。
患者の中には高齢者も多く、デジタル機器に不慣れな方もいらっしゃいます。
このような多様なユーザーに対して、同じ伝え方では通用しません。
ユーザーごとに適切な「伝え方」を設計することが、医療機器では特に重要なのです。
技術の進化と”わかりやすさ”のギャップ
医療技術は日進月歩で進化しています。
AIによる診断支援、ロボット手術、遠隔医療システム。
これら最先端技術を搭載した医療機器は、確かに性能面では飛躍的な進歩を遂げています。
しかし、技術が高度化するほど、そのシステムを理解し操作することは難しくなっていきます。
ここに大きなギャップが生まれるのです。
最新の医療機器プログラムも、2014年11月の医薬品医療機器等法施行以降、単体でも規制対象となりました。
こうしたデジタル技術を用いた医療機器の増加により、ユーザーインターフェースの直感性とわかりやすい説明の重要性は、かつてないほど高まっています。
失敗事例から学ぶ:伝わらなかったことで起きた問題
実際の誤作動体験とそこからの気づき
私が医療機器のテクニカルライターへの転身を決意したのは、ある個人的な出来事がきっかけでした。
糖尿病を患う母が使っていた自己血糖測定器が誤作動を起こしたのです。
数値が安定せず、何度測っても異なる結果が出る。
取扱説明書を見ても原因がわからない。
カスタマーサポートに電話しても、専門用語が飛び交い理解できない。
母は不安と混乱の中、適切なインスリン投与量を判断できず、結果的に低血糖を起こして倒れてしまいました。
幸い大事には至りませんでしたが、この経験から「命を預かる製品の”伝え方”が足りない」と痛感したのです。
専門知識がない使用者にも理解できる説明があれば、この事故は防げたはずです。
ユーザビリティ軽視のリスク
医療機器開発において、ユーザビリティを軽視することは大きなリスクを伴います。
Emergo by ULの例では、手術用吸引システムのユーザーインターフェースが原因で、手術チームが誤った圧力設定をしてしまい、致命的な肺損傷を引き起こした事例が報告されています。
この失敗からわかるのは、優れた機能だけでは不十分だということ。
使用者が直感的に理解できるデザインと説明が不可欠なのです。
日本産業規格JIS T 62366-1:2022では、「医療機器のユーザビリティに関連するリスクを受容可能にするためのユーザビリティエンジニアリングプロセス」が規定されています。
これは単なる推奨ではなく、規制要件として明確化されました。
医療機器メーカーは安全性に関連するユーザビリティを分析し、開発段階から「伝え方」を設計する必要があるのです。
法的トラブルと説明不備の関係
医療機器の説明不備は、法的トラブルに直結します。
不十分な説明による使用ミスが事故を引き起こせば、製造業者の法的責任が問われます。
例えば、機器の使用方法や限界、警告情報が不明確であった場合、製造物責任法(PL法)に基づく損害賠償請求の対象となる可能性があります。
医薬品医療機器等法においても、医療機器の添付文書は「使用者が当該医療機器を適正に使用するために必要な情報」と定義されており、法的に重要な位置づけがなされています。
「伝え方」は単なるコミュニケーションの問題ではなく、法令遵守の問題でもあるのです。
“伝える設計”の実践とは何か?
マニュアルとスクリプトに込める工夫
医療機器の「伝える設計」において、マニュアルやスクリプトは最も基本的な要素です。
この点は、横浜を拠点とする医療機器開発に取り組む企業でも重視されている観点です。
私が実践している工夫は以下の通りです。
1. ユーザーの知識レベルに合わせた階層構造
- 初心者向けの簡潔な「クイックスタートガイド」
- 標準的な「ユーザーマニュアル」
- 技術者向けの詳細な「リファレンスガイド」
このように情報を階層化することで、ユーザーは自分に必要な情報だけを効率よく得ることができます。
2. ビジュアル要素の活用
- フローチャートによる意思決定プロセスの可視化
- イラストと写真の組み合わせによる手順説明
- 色分けとアイコンによる警告・注意事項の強調
人は文字情報だけでなく、視覚的情報からも多くを理解します。
特に緊急時や高ストレス状況では、視覚的な手がかりが重要になるのです。
3. シナリオベースの説明
- 実際の使用シーンを想定したストーリー形式の説明
- トラブル発生時の対応をケーススタディとして提示
- 「もしこうなったら」という条件分岐の明確化
抽象的な説明よりも、具体的なシナリオの方が理解しやすく記憶に残ります。
これらの工夫を組み合わせることで、マニュアルは単なる「読み物」ではなく、ユーザーと機器をつなぐ「橋渡し」となるのです。
言葉選びと構成:難解さをほぐす技術
医療機器の説明において、言葉選びと構成は極めて重要です。
専門用語を多用すれば正確性は高まりますが、理解しづらくなります。
逆に簡略化しすぎると、重要な情報が抜け落ちる危険があります。
私が心がけているバランスの取り方は以下の通りです。
1. 「言い換え」の戦略的活用
- 専門用語には必ず平易な言い換えを添える
- 例:「経皮的酸素飽和度」→「血液中の酸素濃度」
- 最初に言い換えを示した後は、適宜専門用語も使用して慣れてもらう
2. 「階層化」による情報の整理
- 最も重要な情報を最初に配置
- 詳細や補足は後に回す
- 緊急時に必要な情報は赤枠や太字で強調
3. リズムと余白を意識した文体
- 一文は短く、一つの段落には一つの要点
- 箇条書きとナンバリングの効果的な活用
- 視覚的な「呼吸」となる余白の確保
山田太一氏の脚本から私が学んだのは、言葉には「リズム」があり、そのリズムが心地よいと理解も深まるということです。
医療機器の説明においても、この「リズム感」を意識することで、難解な内容も自然に頭に入ってくるようになります。
ユーザー観察から得られるヒント
実際のユーザーが医療機器をどう使っているか。
その観察から得られるヒントは、マニュアルやインターフェース設計において非常に貴重です。
私が実践しているユーザー観察のポイントは以下の通りです。
1. 使用環境の把握
- 明るさ(手術室は暗い)
- 騒音レベル(救急室は騒がしい)
- 空間的制約(在宅医療では狭い場所での使用も)
環境要因によって、最適な表示方法や操作方法は大きく変わります。
2. ユーザーの「つまずき」に注目
- 説明を読み飛ばす箇所
- 何度も確認する箇所
- 操作を躊躇する箇所
ユーザーがつまずく場所こそ、伝え方を改善すべきポイントです。
3. 無意識の行動パターンを観察
- 右手と左手の使い分け
- 視線の動き
- 機器との距離感
人間は自分でも気づかない行動パターンを持っています。
それを理解することで、より自然な操作フローを設計できるのです。
ユーザビリティエンジニアリングの本質は、机上の理論ではなく、現場での観察から得られる生きた知見にあります。
「伝える設計」とは、つまるところ「使う人の立場になって考える」ことに他なりません。
チームで伝える:開発・法務・広報の連携
法律の視点から見た”正確な伝達”の必要性
私が広告代理店時代に培った法務知識は、医療機器の説明文書作成において大きな強みとなっています。
医療機器の説明には、正確性と法的な裏付けが不可欠だからです。
1. 薬機法(医薬品医療機器等法)の広告規制
- 承認外の効能効果を標榜できない
- 誇大広告の禁止
- 安全性の保証表現の制限
これらの規制は単なる制約ではなく、患者の安全を守るための重要な枠組みです。
2. 製造物責任法(PL法)との関連
- 警告表示義務
- 正確な使用方法の説明責任
- 予見可能な誤使用の防止
わかりにくい説明は、法的リスクを高める要因になりうるのです。
3. 個人情報保護法の視点
- 患者データ収集・保存に関する配慮
- セキュリティリスクの説明責任
- オプトイン・オプトアウトの明確な説明
特に近年のデジタル医療機器では、この観点が極めて重要です。
法律の視点を持つことで、単に「わかりやすさ」だけでなく、「正確さ」と「責任」を両立させた説明が可能になります。
ブランディングとインターフェースの共通点
医療機器の説明とブランディングは、一見別物のように思えますが、実は密接に関連しています。
広告代理店での経験から、私はその共通点を以下のように捉えています。
1. 一貫性の重要性
- ブランドカラーとワーニングカラーの統一
- 企業理念を反映した表現の選択
- 製品ラインナップ全体での用語統一
医療機器のブランディングが失敗するケースの多くは、「作り手側による独りよがりの商品」という印象が強まったことが原因とされます。
顧客ニーズや求める価値を把握し切れていないと、効果的なブランディングはできません。
2. 信頼感の醸成
- 安心感を与える適切な情報量
- 誠実さを感じさせる謙虚な表現
- 問題発生時の対応の明確さ
医療機器のブランド価値の核心は「信頼」です。
その信頼を形作るのが、日々の使用を支える「伝え方」なのです。
3. 感情的側面への配慮
- 患者の不安を和らげるトーン選び
- 医療従事者の緊張を緩和する表現
- 治療への前向きな姿勢を促す言葉選び
医療機器は単なる「モノ」ではなく、患者と医療者をつなぐ「懸け橋」です。
その懸け橋の質は、ブランディングの質と密接に関連しているのです。
現場と開発者をつなぐ”翻訳者”の役割
医療機器開発において、私のようなテクニカルライターが果たす役割は「翻訳者」に近いものがあります。
それは言語間の翻訳ではなく、異なる専門分野や視点間の「意味の翻訳」です。
1. エンジニアと医療従事者の橋渡し
- エンジニアの技術言語を医療言語に変換
- 医療現場のニーズをエンジニアに伝えるフィードバック
- 相互理解を促進するコミュニケーション設計
2. 専門家と一般ユーザーの橋渡し
- 専門知識を持たない患者向けの説明作成
- 高齢者や障害者に配慮した表現選び
- 文化的背景の異なるユーザーへの配慮
3. 開発チーム内の共通言語構築
- 用語集の作成と維持
- コミュニケーションルールの設計
- ドキュメント標準化による情報伝達効率化
このような「翻訳者」としての役割を果たすことで、開発の初期段階から「伝える設計」を組み込むことができます。
これにより、後になって説明を付け足すような非効率なプロセスを避け、本質的に使いやすい医療機器の開発が可能になるのです。
心を動かす”伝え方”とは
「冷たいテクノロジー×温かい言葉」の相乗効果
医療機器は最先端のテクノロジーの結晶です。
高精度センサー、複雑なアルゴリズム、精密な機械部品。
これらは時に冷たく無機質な印象を与えます。
しかし、そこに温かい言葉を添えることで、まったく違う印象に変わるのです。
1. 人間中心の表現
- 「アラームが作動します」ではなく「安全のためお知らせします」
- 「エラーコード:E-301」ではなく「測定値が不安定です。もう一度お試しください」
- 「操作禁止」ではなく「次の手順に進む前に確認してください」
2. 共感を示す言葉選び
- 「素早く操作してください」ではなく「焦る必要はありません。落ち着いて操作してください」
- 「この操作は複雑です」ではなく「初めは慣れが必要ですが、繰り返すうちに自然になります」
- 「患者を固定してください」ではなく「患者さんが安心できるようサポートしてください」
3. ストーリーテリングの活用
- マニュアルに開発背景や想いを盛り込む
- 実際の使用例や成功事例を紹介する
- ユーザーを「主人公」とした説明構成を心がける
こうした温かい伝え方は、単に好感度を上げるだけではありません。
実は使用時のストレスを減らし、操作ミスを防ぎ、結果として医療の質と安全性を高めることにつながります。
冷たいテクノロジーと温かい言葉の相乗効果が、真に人に寄り添う医療機器を生み出すのです。
誤解なき安心感をどう設計するか
医療現場では、わずかな誤解が重大な結果を招きかねません。
だからこそ、誤解のない「安心感」をどう設計するかが重要な課題となります。
1. 「安心の3段階」を意識した説明設計
- 正しく理解するための明確な説明(認知的安心)
- 操作に自信を持てる段階的な導入(行動的安心)
- 万一の際のサポート体制の明示(情緒的安心)
これら3つの安心感をバランスよく提供することが重要です。
2. 「不安の先回り」による安心感の構築
- 「よくある質問」の戦略的配置
- 起こりうるトラブルとその対処法の事前説明
- ユーザーの心理的障壁を予測した説明の追加
ユーザーが抱くかもしれない不安に先回りして答えることで、安心感が高まります。
3. 「余白」のある説明による安心感
- 情報過多を避けた適切な情報量
- 視覚的な余白による読みやすさの確保
- 理解のための「間」を意識した説明構成
情報が詰め込まれすぎた説明は、かえって不安を煽ります。
適切な「余白」を設けることで、ユーザーは自分のペースで理解を深めることができるのです。
誤解なき安心感とは、単に「すべてを説明する」ことではなく、「必要なことを、必要なタイミングで、必要な形で伝える」ことに他なりません。
ドラマ脚本に学んだ、言葉の余白と優しさ
私が影響を受けたのは、山田太一氏のドラマ脚本です。
彼の脚本における「言葉の力と優しさ」は、医療機器の説明文書作成にも大いに役立っています。
1. 「語らないことで語る」技法
- すべてを説明せず、ユーザーの想像力を信頼する
- 重要なポイントを強調し、細部は適切に省略
- 「間」を大切にした文章構成
2. 「共感的理解」を促す表現
- 「この操作は難しいかもしれません」と素直に認める
- 「初めは誰でも戸惑うものです」と普遍性を示す
- 「少しずつ慣れていきましょう」と共に歩む姿勢
3. 「物語性」のある構成
- 単なる手順説明ではなく、「なぜ」を大切にする
- ユーザーの成長を意識した段階的な説明
- 小さな「達成感」を得られる構成の工夫
山田太一脚本から学んだ最も重要なことは、「言葉は人の心を動かす力を持つ」ということです。
医療機器の説明文書も、単なる情報伝達ではなく、使用者の感情や心理に寄り添うものであるべきです。
そうした優しさに満ちた伝え方こそが、最終的には医療の質を高め、患者の生活の質を向上させることにつながるのだと信じています。
まとめ
“伝え方”が医療機器の信頼と安全を支える
この記事を通じて、医療機器開発における「伝え方」の重要性について考えてきました。
優れた医療機器とは、単に高性能であるだけでなく、ユーザーにとって理解しやすく、安心して使える製品であることが明らかになりました。
2024年4月からは医療機器のユーザビリティに関する基準が強化され、法的にも「伝え方」の重要性が認識されるようになっています。
製造業者には「改正後のJISへの適合の確認を行う体制」が求められ、「伝える設計」はもはや選択肢ではなく必須要件となっているのです。
ライターが担う「見えない設計者」の役割
テクニカルライターやユーザビリティ専門家は、医療機器開発において「見えない設計者」とも言える役割を担っています。
彼らの仕事は表面上は目立ちませんが、ユーザーが機器を使いこなせるかどうかを左右する重要な存在です。
私自身、広告代理店での経験と法学の知識を生かし、「伝える言葉」の設計に取り組んできました。
それは単なる文章作成ではなく、ユーザー心理の理解、法規制の考慮、ブランド価値の表現など、多面的なスキルを要する専門職です。
この「見えない設計」の質が、医療機器の実質的な価値を大きく左右するということを、もっと多くの人に理解してもらいたいと思います。
テクノロジーを人に寄せる——次の開発へのヒント
最後に、これからの医療機器開発に携わる方々へのヒントを述べたいと思います。
テクノロジーは日々進化し、AIやIoTを活用した新たな医療機器が次々と生まれています。
しかし、どれほど革新的な技術であっても、最終的にそれを使うのは人間です。
「テクノロジーを人に寄せる」という意識が、今後の開発において最も重要なポイントになるでしょう。
それは具体的には:
- 開発初期段階からユーザビリティ専門家を参画させる
- 多様なユーザーの視点を取り入れた設計プロセスの構築
- 技術的機能と説明の質を同等に重視する評価基準の採用
といった形で実践できるはずです。
「テクノロジーは冷たくても、伝える言葉が温かければ、使う人の心は動く」
これは私の信条であり、医療機器開発に携わるすべての人に共有していただきたい思いです。
人を癒し、命を救う医療機器だからこそ、その伝え方にも命を吹き込む。
そうした姿勢が、医療の未来をより豊かなものにしていくと信じています。